愛車、ダイハツの軽トラ ハイゼットで四国八十八カ所巡りを実行してきました。
カメラは、オリンパスOM-D E-M1 MarkⅡ
レンズは、パナソニックLUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH
コンパクトデジカメは、オリンパスSTYLUS VH-515です。
動画撮影用に、ソニーHDR-AS300を持って行きました。
車からの動画、画像はドラレコ(ユピテルDRY-ST1000P)です。
(アフェリエイトを含んでいます。ご了承ください。)
「紫電改展示館」を見学しています
まだ、紫電改を見ています。
「紫のマフラー」
「紫のマフラー」、首に巻くマフラーです。
この展示館に来て、初めて知りました。
隊員の行きつけの松山の食堂の女将さん、女学校の生徒さんの協力で
作ってくれたのだそうです。
「紫電改」の「紫」にちなんで、着物を解いて、お守り代わりに
隊員にプレゼントしたそうです。
38枚が完成したそうです。
度重なる出撃に、未帰還になる搭乗員、
3枚が残ったそうです (T_T)。
そのうちの一枚が、展示してありました。
写真は、撮っていません。
なんか、撮れなかったですね。
もう一度行ったら、撮りたいですね。
普通は、当時のパイロットの方は「白いマフラー」を首に巻いていらっしゃいました。
ゼロ戦で有名なパイロットの「坂井三郎氏」は
ガダルカナルの空戦で頭部に被弾。
白いマフ ラーを使ったとおもいます。
止血のために、意識朦朧とする中、
手探りで、応急処置をしたと、
「大空のサムライ」(←楽天アフィリエイトです)で読みました。
紫電改の写真を撮る
↑ 垂直尾翼のラダー
尾翼のエレベーターが骨になっています。
理由としては
布張りだったためだと思います。
「知覧特攻平和会館」で陸軍四式戦闘機「疾風」を
間近でみたとき、布製であったことを確認できました。
少しでも軽くするためと、物資不足もあったと思います。
↑ 腕を伸ばし、胴体の下面を撮りました。
↑ 20mm機銃の、主翼の下面の写真です。
↑ 主翼先端側からの一枚です。
↑ エンジンからの排気管です。
↑ ちょい斜め後ろからの一枚です。
↑ 燃料タックです。
「柵内にはいらないでください」と
注意書きがあります。
皆さん、守りましょうね。
↑ 燃料タンクです。
戦争初期の頃は、燃料タンクの防弾はしていなかったのですが、
さすがに、末期の頃はちゃんと防弾していたのです。
↑ 「空戦フラップ用」と書いてありました。
紫電改には、低速で失速しにくいように
「空戦フラップ」が付いていました。
14-140mmズームレンズを持って行っていたので、
写真撮影時に非常に助かります。
それと、カメラ本体、
オリンパスミラーレス一眼の液晶画面がチルト式なのも
いいですよ。
漫画家 ちばてつや氏
漫画家の、ちばてつやさん、「紫電改のタカ」(←楽天アフィリエイトです)
というマンガを描いています。
私も子供の頃読みました。
↑ 「ちばてつやさん」の色紙です。
場内に展示してあります。
主人公の「滝城太郎」、モデルは「菅野直氏」ですね。多分・・・。
漫画の中で菅野大尉は髭面のオヤジの指令官ですが、
実際の「菅野直」はハンサムで、
武勇伝満載の男気溢れる人物だったのです。
私が子供の頃に読んだ、戦争を取り上げた漫画で心に残っているのが
「ゼロの白鷹」(←楽天アフィリエイトです)です。
「本宮ひろ志さん」の作品です。
こちらには、戦争前、鹿児島県の錦江湾での
真珠湾攻撃演習の模様が描いてあります。
私の祖母に、その時の様子を聞いたことがあります。
「そりゃ、毎日毎日毎日すごかったよ~。」という表現でした。
(*⌒∇⌒)♪
雷撃訓練がすさまじかったそうです。
映画「トラトラトラ」(←楽天アフィリエイトです)にも出てきます。
映画「ミッドウェー」では、日本の空母艦隊が大打撃を受ける
映画で、悲惨です、
二作品とも、CGのない頃の作品で、
実際の船、飛行機を使っての撮影も多く、
正に真に迫った造りですので一度は見てください。
私の父親が語ってくれた戦争の思い出
私の父親が、子供の頃は戦争中でした。
ある日、校庭で遊んでいると一機の飛行機がやって来て、
小学校上空をクルクルと旋回したそうです。
暫く上空を旋回して、どこかへと飛び去って行ったと語ってくれました。
そのあと、「真珠湾攻撃」だったそうで、
「あの飛行機は、出撃した人が、里帰り飛行していたんだろう。」と
語っていました。
私の故郷から、真珠湾攻撃に出て、戦死された方がいることを
父親から聞かされました。
戦争初期、パイロットの方は、故郷に里帰りの飛行ができたそうです。
漫画「ゼロの白鷹」にも出てきます。
今日は、以上です(^_-)-☆。続きは明日です。
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