愛車、ダイハツの軽トラ ハイゼットで四国八十八カ所巡りを実行してきました。
カメラは、オリンパスOM-D E-M1 MarkⅡ
レンズは、パナソニックLUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH
コンパクトデジカメは、オリンパスSTYLUS VH-515です。
動画撮影用に、ソニーHDR-AS300を持って行きました。
車からの動画、画像はドラレコ(ユピテルDRY-ST1000P)です。
(アフェリエイトを含んでいます。ご了承ください。)
40番「観自在寺」→ 「紫電改展示館」です。
紫電改展示館の続きです
できるだけ見ていたかったです。
資料を読む
紫電改展示館には、この機体のパイロットであったであろう6人の
写真と、人柄が書いてありました。
↑ 6人のパイロットの方々です。
↑ おとなしく無口な方、明るく笑顔の素敵な方等々、
人柄が写真とともに掲示されています、
この六人の中で、撃墜王の本に必ず出てくるのが「武藤金義 さん」です。
六人の中で唯一の既婚者でした。
あともう少しで、終戦という時期に来ていたのに、
ご本人達は知る由もなく、戦い続けていたのです。
菅野直 海軍中佐をご存じですか
343航空隊といえば、 菅野直 という方が有名です。
子供の頃からガキ大将という感じの方です。
この方の、写真、エピソード、人柄等が掲示されていました。
写真の中に、美味しそうに、おにぎりをほおばる写真がありました。
にこやかに、大きい口を開けて食べている写真です。
初めて見ました。
撃墜王としても有名で、その武勇伝の多さで
今なお、ファンの多い方です。
部下思いで、菅野さんの乗る機体には太い黄色いストライプが
描いてありました。部下を守るため、自分が標的になりやすいようにです。
普通、戦闘機は誰それ専用機という決まりはなかったそうです。
早い者勝ちみたいに飛び乗り出撃していたそうですが、
菅野さんだけは自分専用として乗機していたそうです。
しかも、戦争末期、目立つカラーリングは標的になるので
禁止されていたのです。
色々、私がここで書いても仕方ないので、
ネットで沢山上がっていますので、是非、読んでくださいね。
あまりにも有名な方で、
漫画「ドリフターズ」にも登場しています。
プラモデル愛好家の方達も
必ず、このストライプを入れた紫電改を作ると言っていいくらいの
有名な撃墜王です。
紫電改 操縦席
↑ 操縦席です。風防がわずかに開けてあります。
ガラス越しに、照準器が黒く見えています。
緑に塗られた機体に、腐食で空いた穴が分かります。
↑ 後方からの操縦席です。
アンテナの支柱が立っています。
↑ 主翼の付け根の所に、四角い穴が空いています。
多分、乗り降りのためのステップではないかと思います。
↑ 丁度、照準器が見えたので撮りました。
ほんの何十年か前の出来事です。
戦争が、大きな戦争がありました。
この操縦席に乗り込み、爆弾を落としに来る
アメリカ軍を打ち落とすために、
日本本土を守るために
空に、上がって行った人がいました。
沢山いました。
私の父親も銃撃された
私の父も、戦時を経験していました。
小学生でした。
九州の片田舎の駅前の広場で、友達と遊んでいたそうです。
一機のアメリカ軍戦闘機がやってきて、
機銃掃射してきたそうでう。
父の友人たちは防空壕側にいて、
防空壕に飛び込んだそうです。
私の父は、反対側の桜の木の方へと逃げたそうです。
二又の桜の木で、その木に隠れ
旋回する戦闘機を見たそうです。
パイロットがハッキリと見えたと語ってくれました。
友人達が「今だっ!早くこっち来い!逃げろぉ!」と叫んで、
父も同じ防空壕へと飛び込んで助かったそうです。
戦争って 狂気 ですね。
ただ遊んでいる子供を狙って撃ってくるんですもんね。
たしか、元議員だった石原慎太郎氏もおなじような経験をしていました。
アメリカ兵にすれば、遊び半分だったのでしょうけどね。
戦争狂気の最たるものが、原爆です。
なんの罪もない人達、暮らし、その頭の上に
一瞬で皆殺しの原爆を落とすんですもんね。
今、最も危険な国は、中国、北朝鮮ですね。
今日は、以上です(^_-)-☆。続きは明日です。
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