愛車、ダイハツの軽トラ ハイゼットで四国八十八カ所巡りを実行してきました。
カメラは、オリンパスOM-D E-M1 MarkⅡ
レンズは、パナソニックLUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH
コンパクトデジカメは、オリンパスSTYLUS VH-515です。
動画撮影用に、ソニーHDR-AS300を持って行きました。
車からの動画、画像はドラレコ(ユピテルDRY-ST1000P)です。
(アフェリエイトを含んでいます。ご了承ください。)
40番「観自在寺」→ 「紫電改展示館」です。
紫電改展示館で「紫電改」を見学
初めて見る「紫電改」です。
紫電改の周りを見て回る
胴体の太い機体です。
↑ 時計回り移動しました。
引き上げられた機体を、必要最小限の復元で終わらせて、
展示してあります。
日本で唯一見ることのできる「紫電改」です。
写真では、中々大きさが伝わりません。
↑ 二階の踊り場から見下ろした機体です。
機体には、海中での腐食で空いた穴が目立ちます。
長さ9.35m、重量 4t だそうです。
↑ 正面に回っての一枚です。
千羽鶴に、人の願いが、不戦と鎮魂の気持ちが伝わってきます。
戦争に行った祖父
私の祖父も戦争に行きました。陸軍でした。
中国に渡り、南下。
スマトラ半島の反対、タイ、ビルマ(現ミャンマー)に行ったそうです。
何人もの死体を見たことでしょう。
まともな死体なんて無かったでしょう。
人肉の破片を沢山見たでしょう。
多くは語ってくれませんでした。
酔った時、「そりゃもう、もうだめかと思うくらい打ち合いがあった。」
とか、少しだけ語ってくれるくらいでした。
捕虜になり、無事に帰国した祖父。
帰り着いた故郷は焼け野原で、
祖父:「西駅(現在の鹿児島中央駅)から海が見えた。」と語ってくれました。
今、駅ホームに立っても、海がどちらかも、桜島さえ見えません。
紫電改をアップで撮りました
↑ 操縦席です。
このガラスもそのままの、引き上げられた時の状態でしょう。
張り付いていた牡蠣とかを、除去しての展示だと思います。
↑ プロペラの間からエンジンが見えています。
この機体は、引き上げられた時のまま、必要最小限の
復元で終わらせ、化粧直しをして展示されています。
↑ 機体の左側へと回りました。
元、パイロットの方から聞いた話
昔、私が20代の頃、紫電改のパイロットだった方に聞いたのが
パイロットさん:「いやーB29はデカいデカい、垂直尾翼がこっちの主翼くらいあったヨ。」
と語ってくれました。
知覧特攻平和会館では陸軍の四式戦闘機「疾風(はやて)」
のパイロットだった方に聞いたのが、
パイロットさん:「機体の日の丸の所に通信機が入れてあってね、不時着した仲間を助けに降りて、そこの通信機を放り出して、不時着したパイロッとを載せて帰ったんだよ。」
と教えてくれました。
私は南九州の生まれ。子供の頃から書店に行くと
「特攻」関連の本が普通にならんでいました。
表紙は、にこやかに子犬を抱き上げるパイロットの写真でした。
南九州にも「知覧特攻平和会館」と「海上自衛隊鹿屋航空基地史料館」があります。
一度は見に行ってください。
沢山の遺影、遺書、見ることができます。
どちらの展示館にも、当時の戦闘機が展示してあります。
「海上自衛隊鹿屋航空基地史料館」は自衛隊管轄です。
無料で見学できます。
今日は、以上です(^_-)-☆。続きは明日です。
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