ツーリング 火砕流被害を見学に行って来ました島原市

ツーリング

2011年9月24日の思い出になります。島原市に行って来ました。
カメラはニコンD700です。

熊本港からフェリーに乗る

 家を、7:00くらいに出て、フェリーに乗るために熊本港を目指します。

熊本港

↑写真左は、ローカル線の横を通っていくのですが、警報機が鳴りだし、列車を撮ろうと待っているところです。
 写真右、熊本港です。12:20くらいです。私が乗る九商フェリーが停泊していたので、撮りました。
 実は、熊本港の前に、三角港へ行きました。20代の頃、ツーリングで三角港から島原へ行ったことがありましたので、行けば乗れる程度の感覚でした。とうの昔に路線が無くなっていました。もうびっくり!急いで熊本港へ移動しました。

熊本港

↑写真左、九商フェリーは駐車スペースが2階建て仕様になっています。外観も昔ながらのフェリーっていう感じです。
 写真右、遠くに沢山棒がさしてあるのが分かります。熊本港は不知火海にあります。海苔の養殖が盛んなんです。熊本の知り合いに、根昆布を貰いました。確か湯引きして、醤油でたべると美味しいです。コリコリした触感がグッドでした。魚介類が豊富で、牡蠣を食べさせてもらったり、烏賊貰ったりして、美味しいお裾分けを頂いております(^-^)。馬刺しも忘れてはいけません。熊本に行ったら馬刺しは是非食べてください。

九商フェリー乗船

  12:30に乗船しました。

フェリー

↑熊本港を離れていきます。
 写真右、ありふれた船内です。フェリーのエンジン音が微かに聞こえ、旅心をくすぐります。

フェリー

↑写真左、向こうからやってくる九商フェリーです。
 写真右、金峰山です。山頂には、金峰山神社、テレビの電波塔があります。金峰山神社から熊本市内を見下ろせる景色の良い所です。

火砕流被害 大野木場小学校へ行く

 最初に向かったのは、火砕流被害にあった「大野木場小学校跡」です。

大野木場小学校

↑写真左、校門です。
 写真右、雲仙普賢岳です。山頂はいまだに煙が出ており、火山エネルギーを感じさせます。
 「雲仙普賢岳 火砕流」と聞いてもピンとこない人の方が多いでしょうね。1991年に起きた、火山災害です。もう30年たとうとしているのです。当時、非常にショックを受けました。火砕流を命からがら逃げてきた人が、喉、体をやけどして苦しんでいる映像は忘れられないです。写真左の山頂の岩に見ええるのは、ほぼ溶岩です。当時、この山頂の溶岩が火山活動により、ドンドン地下からのマグマに押し上げられ、ついに崩落を始めました。この岩モドキが崩落しながら、崩壊し、中の溶岩がガスを噴出しながらホバークラフトのごとく猛スピードで山の麓に襲ってきたのです。高熱高熱風火山ガスを発しながらです。
死者41人、行方不明3人、負傷者12人、建物の被害2511件、被害額2299億4197万円という数字です。 地域の安全のために働いていた地元消防団員の方がかなり被災され亡くなりました。外国人の方、クラフト夫妻も撮影に来ていて、亡くなられました。
 動画サイトでも、「雲仙普賢岳 火砕流」で沢山出てきますので、見てください。

災害の凄さを伝えてくれている 修学旅行のコースに入れて欲しいですね

大野木場小学校

↑写真左、ガラスはもうありません。撤去されたのではなく、高温にやられたのです。
 写真右、1階でした。理科室でしょうか、水道管が グニャリ と曲がっていました。火砕流の熱の凄さを物語っています。ゾッとしますよ。
 当時、山が危険な状態だったので、生徒は避難していたので無事でした。

大野木場小学校

↑写真左、火山「雲仙普賢岳」が近いことが分かると思います。左側の建物は、「大野木場砂防みらい館」です。入場者数が年々減ってきているのが残念です。最近災害が増えてきているので、九州の修学旅行のコースに入れて欲しいですね。
 写真右、火砕流で焼けてしまった銀杏の木です。見事に蘇り、青々と葉を茂らせています。

大野木場小学校

↑小学校校門前から、海が見下ろせます。凄く綺麗です!羨ましいくらいの景色です。
 普賢岳から海まで、なだらかな斜面であることが分かっていただけるでしょうか。

つづきは、明日です(^_-)-☆。

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