ツーリング 手掘りトンネル、青の洞門に行ってみた4

ツーリング

 2013年9月の思い出になります。
 カメラはニコンD700です。レンズは AF-S NIKKOR28-300mm F3.5-5.6G です。 

中津市内を ちょっとだけ見る

 中津城を見て、城の近場を少し見て回りました。

中津市内

 ↑ 記念に案内板を写真に撮っておきました。

中津市内

↑ 朝7:55です。昭和を感じさせる佇まいのお店が並んでいました。
 写真右、散髪屋さんの造りは、The 昭和ですね。

中津市アーケード

中津市内

↑ 写真左、甘いもの好きの私にはたまんない「ういろう」を売る和菓子屋さんです。
 写真右、時代の流れには逆らえないですね、アーケードの取り壊し中でした。

中津市

↑ 写真左、JR中津駅近くのアーケードです。入口にローマ字で「HINODE」と書いてありました。朝8:10でした。時間があれば、昼も歩いてみたかったのですが、残念です。又、機会を作り訪れたいです。

中津市内

↑ 写真左、遠くの商店の前にこちらをうかがっている人がいらっしゃいました。朝のJRの高架線が朝日に照らされていい雰囲気になっていました。
 写真右、青の洞門へと戻りがてら、山の写真を撮りました。こちらの山は、岩山のようで、私の所とは山の風景が違い、つい撮りたくなります。

青の洞門を見学する

 青の洞門へと帰ってきました。いよいよ歩いて中へと入りました。

青の洞門

↑ 写真左、どう見ても、近代になり、掘られたトンネルです。ただ、岩の地肌がむき出しです。1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された。この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたそうです。
 「諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。」
 以上のような記事がでていました。私が何かの折に読んだものには、「最初は村人達はだれも相手にせず、和尚が一人で掘り始め、毎日岩を打つ音が辺りに”カーンッ、 カーンッ 、 カーンッ ”と響いていて、次第に村人たちも心打たれ、手伝うようになった。」と、読んだ記憶があるのです。どちらにせよ、30年かかったことを考えると、かなりの岩盤だったのでしょうね。

本当の手掘り跡を見る

青の洞門

↑ トンネルに入ると、右へと小さいトンネルが通っていました。中はそれなりに涼しかったです。こちらが手掘りトンネルの跡になるようです。トンネルには川側に明かり窓として開けた穴があります。帰ってから色々ネットで見ると、この明かり窓にこそ、手掘り跡,ノミの跡が見て取れるそうです。残念、気が付きませんでした(´;ω;`)ウッ…。

青の洞門

↑ 旧トンネルを潜り抜け、新道へと上がりました。
 青の洞門のある岩山は「競秀峰」(きょうしゅうほう)と言います。登山ルートがあります。
 まさか、2012年の豪雨災害で通行止め中と知らずにやってきました、念願かない青の洞門を歩いて通り抜けできました。

黒田長政 黒田官兵衛の息子

 黒田長政の兜について。関ケ原の戦いで付けていた兜は、元は福島正則の兜です。
  黒田長政と福島正則は共に豊臣秀吉に仕えていましたが、朝鮮出兵に関するいざこざで仲違いしてしまいました。そののち、帰国してから和解することになり、仲直りの証しとしてお互いの兜を交換します。
 色々、甲冑にも歴史を感じます。

今日で、第一回、青の洞門ツーリングは終わりです。

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