2015年9月の思い出になります。
カメラはニコンD700、
レンズはAF-S NIKKOR 28-300mm f/3.5-5.6G ED VR
コンパクトデジカメ、オリンパスSTYLUS VH-515です。
バイクは、PCX125です。
大洲市内を歩く ポコペン横丁に行く
のんびり、写真を撮ったりしながら歩いていました。
懐かしい看板を見つける
街自体が古い街並み、ノスタルジックに浸っていました。
↑ 着物でも着て、そぞろ歩きたいです。
コスプレで、新選組の恰好して歩くとカッコいいかも。
↑ 日が高く上がり、何時かなと思ったら12時になっていました。
向こうへと歩くと大洲神社があるようでした。
(* ̄▽ ̄)♪今回は見送りました。
↑ この通りは写真だけです。
ここを通り過ぎて次の通りへと行きました。
↑ The昭和!という佇まいの散髪屋さん。
二階の散髪屋を表す、回転看板が懐かしい。
(* ̄▽ ̄)♪すっかり見なくなりました。
↑ 角の酒屋さん、いい佇まいでしょう。
夕暮れ時、店の明りが付いたころに、写真に撮りたいです~。
NECワープロ 看板発見!
友人B君が、「あっ、あれっ、ワープロの看板があるっ!」
↑ どうです~?懐かしいでしょう?
ワープロなんて死語ですよね。
私が二十歳の頃、NECパソコンPC9800がありました。
・パソコンは、一般には高価で手に入れられませんでした。
・そのころは、パソコンなんて高価、使い道が特には無い時代でした。
・今のMicrosoftのワードにあたる、一太郎がありました。(今もある)
・今の時代と違いカラーではないです。
・真っ黒な画面に、緑色の文字でした。文字を入力するだけでした。
・ソフトの入った10インチのフロッピーディスクを 使う時に読み込ませ「一太郎を」立ち上げなければならない。
・激遅でした。
・ファイル名も文字数が決まっていて、長い名前NG、日本語での名前入力ができなかったのです!
例 :ファイル名を、仮に「黄色い象さん」なんて、簡単にファイル名として入力できます。
当時なら、「YZO」⇒Y(イエローの意)ZO(象さんの頭文字)こういう感じでファイル名を考えて付けていました。
そこで、パソコンではない、文章作成に特化した「ワープロ」が普及しました。
まだ使っている人がいるかな?
今の時代の若者に当時のパソコンの説明をするとなると、
(* ̄▽ ̄)💧無・理・だ。
NECの看板、夕暮れ時には点灯して欲しいです。
「NECカラーテレビ」なんて、カラーテレビという言葉が死語だ(T_T)。
モノクロテレビを「白黒テレビ」と呼んでました。
(* ̄▽ ̄)♪白黒テレビ? 分かるかな?わかんねーーだろうな~。
「わかるかな わかんねーだろうな」昭和の時代、流行ったフレーズです。
「松鶴家千とせ」お笑い芸人さんです。彼が流行らせました。
↑ ワープロの看板前を通り、いよいよ「ポコペン横丁」へと行くのです。
次回、「ポコペン横丁 探訪」です。
今日は、以上です(^_-)-☆。続きは明日です。
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