大野木場小学校を見た後、土石流被害展示を見に行きました。
道の駅 みずなし本陣 土石流災害展示を見る
火砕流被害の大野木場小学校跡を見学して、次に行ったのが、土石流災害の展示がある「道の駅 みずなし本陣」へ行きました。
土石流被災家屋保存公園
↑「土石流被災家屋保存公園」です。写真の家は、本当に土石流災害で埋まった家です。1992年(平成4年)台風10号により、雲仙普賢岳の火砕流で堆積した火山灰が土石流となり集落を襲いました。
外にも多数の家、電柱等、残してあります。
↑嘘のような光景です。人の生活が、一瞬でつぶされてしまう自然災害の恐ろしさを伝えてくれます。
土石流のスピードが遅かったこともあり、家が倒壊せずにこのような状態で残ったそうです。いくらスピードが遅いと言ってもこれだけの土砂を運ぶ自然の力の凄さを感じてしまいます。仮にこの範囲の家を砂を運んできて埋めるとしたらどれだけの回数運ばないといけないかと思うと、やっぱり怖くなってきますね。
写真の辺りは倒壊せずに埋まっていますが、他の地域では倒壊し無くなっています。
今は、ご覧のように、土砂は乾いた状態です。
↑家の中が、火山性の砂でびっしりと埋まっていました。家財道具なんて運び出せなかったでしょう。東北震災の映像で、海水が泥水(真っ黒)で陸地を襲う映像を思い出してもらえればよいかもしれません。
写真右、奥に人が立っていますが、人間の立ち位置が屋根ですもの、言葉にならないです。
雲仙普賢岳の火砕流被害の後だったこともあり、警戒区域を設け、立ち入り禁止にしたこともあり、負傷者1名ですんでいるようです。
この家の持ち主の方達が、良く残すことに同意されたと思います。
原爆資料館(長崎市、広島市)、特攻記念館(各地にあります)九州ですと鹿児島県知覧町が有名です。そして、島原市にある「土石流被災家屋保存公園 」是非見に行きましょう。経験した人たちに比べても、経験に勝るものは無いですが、せめて見て感じましょう。
↑写真右、外にでて海を見ると、綺麗なんです。遠くに天草五橋の一号橋が見えていました。美しい自然も、突然に人間にとって脅威になりますね・・・・・。言葉が出ないです。
普賢岳の火砕流 土石流 災害の時の島原市長
鐘ケ江管一 さんです。ニュース映像で、 顔かたちは覚えていないのですが、 髭を生やしていたことだけを覚えています。火山が沈静化するように願掛けで髭を伸ばされたそうです。髭のお陰で官公庁に陳情に行くとすぐに分かってもらえ、交渉もスムーズに運んだそうです。とにかく当時としては、とんでもないくらいの大災害のイメージが、私には残っています。
熊本の知人に聞いたのですが、火砕流の火山灰は、熊本市内にも降り注いだそうです。硫黄の匂いもしていたそうで、アッと言う間に、熊本市内は火山灰で真っ黒になったそうです。
今日は、以上です。つづきは、明日です。
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