愛車、ダイハツの軽トラ ハイゼットで四国八十八カ所巡りを実行してきました。
カメラは、オリンパスOM-D E-M1 MarkⅡ
レンズは、パナソニックLUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH
コンパクトデジカメは、オリンパスSTYLUS VH-515です。
動画撮影用に、ソニーHDR-AS300を持って行きました。
車からの動画、画像はドラレコ(ユピテルDRY-ST1000P)です。
(アフェリエイトを含んでいます。ご了承ください。)
40番「観自在寺」→ 「紫電改展示館」です。
「紫電改展示館」へと逆戻り中
20分の時間ロスは痛かったけど、どうしても行きたかったですね。
愛媛県南宇和郡南宇和郡愛南町御荘平城 に入る
↑ 「大介うどん」まで帰って来ました。
ガソリンスタンドにガソリン単価の表示が無かったですね。
↑ 「大介うどん」から、「紫電改展示館」までのルートです。
交差点を右折します
↑ 交差点が近づいて来ました。
(キャプチャー画像です。スミマセン。)
歩道橋があるので、分かり易いと思います。
↑ 交差点を曲がってからは、山の中です。
上へと登って行くだけです。
↑ トンネルが現れます。
このトンネルの山の上に「紫電改展示館」があります。
↑ トンネルを過ぎると、
すぐに駐車場のようなところが現れます。
白い標識に「紫電改展示館」と出ています。
右の駐車場の様な所へと右折します。
紫電改展示館に到着しました
↑ 無事に到着しました。
目の前の白い鉄筋の建物が展示館です。
↑ 軽トラをバックで駐車しました。
無料駐車場です。
↑ 我慢できずに、駐車場からガラス越しに撮りました。
「おおおおっ!紫電改だ!}
↑ 展示場に行く途中に見える展望タワーです。
「宇和海展望タワー」だそうです。
こちらには興味なかったです。
(* ̄▽ ̄)💧
兎に角「紫電改」を見たかった。
「紫電改展示館」に入る
↑ 入場は無料でした。
中では、小学生が見学中で、みんな座って説明を聞いていました。
↑ 紫電改とご対面です。
涙が出そうに、溢れてきました。
まずは、英霊に合掌しました。
「昭和53年(1978年)11月、愛南町久良湾の海底約41mに、
ほぼ原形のまま沈んでいる紫電改が地元のダイバーによって発見されたことが発端です。
翌年7月になり、34年の時を経て引き揚げられました。」
昭和53年発見、翌54年に引き上げられたニュースは覚えています。
年がばれますが、中学生の頃です。
第二次世界大戦末期、この紫電改がここの湾にやってきて、
海に不時着水するのを地元の人も覚えていたそうです。
残念ながら、パイロットは一緒に海に沈んだそうです。
引き上げても、遺骨も無く、誰が操縦していたのか分からないのだそうです。
住民の覚えていた日に、出撃して未帰還だった6人の遺影が
ご覧の様に飾られています。
戦争末期、敗色が濃くなってきた日本、
遠く南洋諸島等にいるパイロットを日本本土に帰らせて、
本土防衛のため、部隊を再編制しました。
第三四三海軍航空隊「剣部隊(つるぎぶたい)」が有名ですね。
皆さんも調べて読んでみてください。
↑ 6人の未帰還者です。
みなさんいい顔なんですよね。
昔、「大空のサムライ 上下巻」(←楽天アフィリエイトです)を読みました。
少ない写真に写るパイロットの方達のハンサムなこと。
子供心に、「なんでみんなハンサムなんだろう?」と思いました。
大人になり、足を延ばし、知覧の「知覧特攻平和会館」とか
見にいきました。沢山の遺影が飾られておりました。
やっぱり、皆さん良い顔なんですよね。
多分、私が思うに「死の覚悟をしていたから」だと思うんですね。
↑ ちょっと引きで撮りました。
右側には小学生たちが説明を聞いていました。
プロペラが、着水した時の衝撃で曲がっています。
子供の頃、飛行機が大好きになり、
海軍のゼロ戦から始まり色々憶えました。
父が坂井三郎氏の本を買ってきてくれて
読みました。
カッコいいのですが、そこには「死」が書いてありました。
可愛がっていた後輩、大好きだった上官、仲間が次々に
未帰還となって行くことが書いてあります。
子供心にショックでした。
アメリカ軍との空戦で未帰還者たちが
やられて、落ちて行くのを誰も見ていないのですよね。
どれだけの激戦だったのかが分かりますね。
今日は、以上です(^_-)-☆。続きは明日です。
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